自己紹介に寄せて

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自己紹介に寄せて

“十数年来、統合失調症と闘病しつつ作家活動を志す。流派名を無限自在流と名乗り書道を起点とした創作活動を身近なところから展開しようと試みる。自身を取り巻くすべての境遇を活かした人生を望んでいる。”〜プロフィールより〜


 プロフィールを書いていてふと考える。思い浮かんだのでこれを私の最初の言葉としようと思う。

 私。

私が創作活動を身近なところから展開しようと試みるその理由はなんだろう。
私が自身を取り巻くすべての境遇を活かした人生を望んでいるのは何故だろう。

 私は統合失調症だ。隠し切れない沢山の罪も抱えて生きてきた。
追い追い皆様にもわかってくる事と思うので隠し立てして生きる訳ではない事は承知しておいて欲しいが物事には順序とタイミングがあり私のプランがある事も同時にご了承頂きたい。
兎に角私は私の人生を背負う積もりがあるのだ。

 人生を背負うとはなんだろう。自分自身の人生を背負うとは?
仮にここに孤島があるとしよう。そこで人は自分ひとり、自身の人生を背負えるだろうか。
きっと無理だろう。自分の人生とは個人に帰属するものではなく境涯やご縁によって形作られるものだ。自分の人生を背負うという覚悟とは、自分を取り巻くすべての事物や人物や宇宙をその個人なりの遣り方で体現し責を負うという事に他ならない。
私はここに至ってしまったから仕方がない。この真理を生きることに人生を捧げるより他ないのだ。
境遇とは兎角有難くないネガティブなものとして捉えられがちだが、人生を創造するには欠かす事のできないポジティブな因子なのだろう。人は人々の間に立ってその因子を自身として発現する過程でこそ人生を成しそれを世に還流することで人生を価値のあるものにできる。他者に貢献できる。他者に貢献できれば人生に価値はある。……人間、孤島に独りで居る限り価値を得られない。語弊を含む言い方だが人間個人の価値は他者が感じる貢献度の評価によって定まる。価値とは本来的に内部からは発せられないものだ。外部から付与されるものだ。
例えば名人芸の骨董と、それに寸分違わぬ見分けも付かぬコピーの骨董があったとしよう。価値を定めるのはものそのものの真贋では無く外部からの評価である筈だ。詰まりそういう事だ。

 とは言え、私は私自身の人生の価値については無私のスタンスでいる。それは価値を否定している訳ではない。自分自身の人生という括りの価値よりもより大きな価値の存在に気付いているからだ。それについては後々に語らせてもらうとしよう。

 私が創作活動を身近なところから展開しようとする理由である。
 私がすべての境遇を活かした人生を望む理由である。

事の重大事をこの理由と定めて本線へと回帰しよう。

 私は人生の価値を自身の為にではなく他者他人の為にこそ遣いたい。その様に遣いたいからこそ私自身の人生に価値を求めるのだ。その価値によって何かを成し得ると信ずるならそれを突き詰めるより人生道はないだろう。

翻り、私には境遇を背負い身近から発する覚悟がある。
この覚悟こそが一大事なのである。私の理由へと直結するのである。見逃せない目的なのである。

 では私の覚悟とはなんであるか。
それは私の罪である。それは私の負い目である。それは私の劣等である。
そして甘えがあり脆弱な私は救済を求めたのだ。他者を自分の境遇で救いたいという大義名分を建てて。

 私が私自身では救われない事はしっている。万も承知だ。
同じ様に誰かが誰か自身で救われ得ないことも又、自分自身の人生経歴を通して知っている。
であれば。
然るに。

私の目的とは他者他人への救済という自己満足なのだ。
だが、これが出来得るのは私しかいないと知っている。

何故なら、私程の愚かは又とないと私自身がしるからである。
知るからこそさあその愚か、私にどこか似通った横顔を、私にどこか似通った猫背の後ろ姿を、救う武具にもなり得るのである。

 愚者よりの救いこそ全人類を救い得る。
弱者よりの救いこそ全人類を救い得る。
賢者強者も人を救えない訳ではない。寄り添う姿勢さえあればいい。

 私は愚者の愚者たる矜恃を以って強者を騙り全人類を救済へと導こう。

 これを自己紹介に語りたかったので、冗長ではあるがここに記す。

2021年12月10日(金)

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